【閲覧注意】本当にあった世界の怖い奇習!日本の「即身仏」【奇習風習】

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未曾有の飢饉、天災、疫病などにより、餓え苦しみ、恐れおののく人々を救うために、この世の苦悩を一身に背負い湯殿山に籠り、木食行、断食行をして、最後には己の身と引換えに衆生救済を一心に祈願しながら土中入定をして念仏往生したというもの。彼らは土の中で何を思い何を悟ったのだろうか…

●即身仏とは

即身成仏(そくしんじょうぶつ)は、仏教で人間がこの肉身のままで究極の悟りを開き、仏になることである。即身成仏の思想は、主に真言密教の教義であり、真言宗において説かれる。空海の『即身成仏義』により確立される。また、天台宗・日蓮宗においても『法華経』に基づき説かれる。

即身仏(修行者が瞑想を続けて絶命し、そのままミイラになること)と混同されがちであるが、即身仏と即身成仏は全く別物である。違いは「成仏」が生きている状態で悟ること。

行者が自分のために即身仏となるというのではなく、それまで衆生救済のために色々と活動してきたお坊さんが、最後に死んだ後も衆生救済に尽くすことを願って即身仏になるということ。

●即身仏になるための修行とは

●その際に漆を飲むことも!?

●なぜ即身仏になろうとしたのか!?

●しかし…失敗も…

これらは死を前提にするため当然ながら大変な苦行であり、途中で断念したものも多数存在する。また、死後腐敗してミイラになれなかったものも多い。ミイラになれるかなれないかは上記の主体的な努力によることと、遺体の置かれた環境にも大きく影響するだけでなく、関係者に裏切られること無く掘り出されるかにも左右される。

●現存する即身仏の一覧

無際大師總持寺神奈川県横浜市鶴見区延暦9年(790年)91
弘智法印西生寺新潟県長岡市寺泊野積貞治2年(1363年)82
弾誓上人(?)阿弥陀寺京都府京都市左京区大原古知原慶長18年(1613年)63
本明海上人本明寺山形県鶴岡市東岩本天和3年(1683年)61
宥貞法印貫秀寺福島県石川郡浅川町小貫天和3年(1683年)92
舜義上人妙法寺茨城県桜川市本郷貞享3年(1686年)78
全海上人観音寺新潟県東蒲原郡阿賀町豊実甲貞享4年(1687年)85
心宗行順法師瑞光院長野県下伊那郡阿南町新野貞享4年(1687年)45
忠海上人海向寺山形県酒田市日吉町二丁目宝暦5年(1755年)58
秀快上人真珠院新潟県柏崎市西長島鳥甲安永9年(1780年)62
真如海上人大日坊山形県鶴岡市大網天明3年(1783年)96
妙心法師横蔵寺岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲神原文化14年(1817年)36
円明海上人海向寺山形県酒田市日吉町二丁目文政5年(1822年)55
鉄門海上人注連寺山形県鶴岡市大網文政12年(1829年)62
光明海上人蔵高院山形県西置賜郡白鷹町黒鴨嘉永7年(1854年)不明
明海上人明寿院山形県米沢市簗沢小中沢文久3年(1863年)44
鉄龍海上人南岳寺山形県鶴岡市砂田町明治14年(1881年)62
仏海上人観音寺新潟県村上市肴町明治36年(1903年)76

●即身仏画像

●即神仏の悲しい話

「即神仏」って知っていますか?

食事を絶って、生きたままミイラになるっていうアレだ。これは、子どもの頃、曾祖父から聞かされたお話し。

曾祖父の家の近くには「上人山」と呼ばれる山がある。そこには「上人洞」という小さな洞穴があって、今でも信心深い年寄りはお供物を供えたりしている。曾祖父もそういう年寄り達の一人で、毎月「上人洞」へ出向いてはサツマイモを供えていた。

ある時、曾祖父が「上人洞」へ一緒に行こうと言った。初夏の青空が眩しくて、散歩をするにはとても気持ちいい日だった。「上人洞」という場所へ行くのは初めてだし、まだ子どもだったわたしは、ウキウキしながらついて行くことにした。

「上人洞」は麓から歩いて一時間程度の場所にあり、以外と見晴しのいい場所だった。木立の切れた八畳程度の原っぱの山際に、小さな子どもがやっと入れるくらいの穴が開いていて、しめ縄が張ってある。

曾祖父はその前の平らな石にサツマイモを供えると、熱心に祈っていた。それからおもむろに振り返ると、

「ここがどういう場所か知ってるか?」

と、わたしに訊ねた。

「ここは、おじいちゃんが人を殺した場所なんだ」

曾祖父は言った。

わたしはビックリして口もきけなかった。

「昔、ここに一人のお坊さんがやってきて・・・」

淡々とした口調で、曾祖父は語り始めた。

曾祖父が子どもの頃、若いお坊さんがこの村にやって来て、村長にこう言った。

「今の世の中には苦悩が多すぎる。私は即神仏となって民衆を苦しみから救いたいのです」

お坊さんは村近くの洞穴で即神仏になる為の行を行なうから、ぜひ村人に協力して欲しい、と頼んだ。即神仏になるには、食事を絶って生きたままミイラにならなければならない。

だが、最初から一切の食べ物を口にしない訳ではないのだそうだ。修行をしながら、毎日少しずつ食事の量を減らしてゆく。やがて水だけを飲むようになり、最後には水も口にしなくなる。そうして、やっと生きたまま仏へ、つまり「即神仏」になることができるのだという。

若いお坊さんは自分が即神仏になるまでの間、食事や水を洞穴まで運んで欲しいと言った。それからもう一つ、重要な事をお願いしました。

「即神仏へ浄化される修行は大変苦しいものです。もし万が一、私が我を忘れて逃げ出すようなことがあった時は、洞穴に閉じ込めて下さい」

村長はお坊さんの申し出を了解すると、洞穴近くの村人数人に交代で食事を運ぶよう言い付けた。

即神仏の行が始まってかなり経ったある日のこと。

曾祖父は自分の父親から洞穴へ水を届けるよう言い付けられた。父親は仕事の都合で町場まで出かける用事があったので、十才を過ぎた長男の曾祖父に、代わりを頼んだのだ。

曾祖父が水を持って洞穴まで行くと、お坊さんは骨と皮ばかりの姿で洞穴の外に寝そべっていた。水を差し出すと、お坊さんは嬉しそうにそれを飲んだ。まだ子どもだった曾祖父は、あまりに痩せこけたお坊さんが心配になって、

「何か食べるものを持ってきましょうか?」

と声をかけた。お坊さんは寝そべったまま、少し笑った。

曾祖父は急いで家に帰ると、母親がふかしたばかりのサツマイモを懐に抱えて、お坊さんに届けようとした。

そこで母親に見つかってしまったのだ。

母親はサツマイモを何処へ持って行くのかと訊ねた。曾祖父が正直に答えると、母親は急いで近所の男衆を集めて山の方へ歩いて行った。曾祖父は、自分がとんでもなく悪い事をしたような気持ちになって、家に残った。

お坊さんは即神仏の修行が辛すぎて、洞穴から這い出していたのだ。村人たちはお坊さんを洞穴に閉じ込めると、出てこられないように石を積んで閉じ込めてしまった。それが、お坊さんとの約束だったから。

数日の間、洞穴からはお経を唱える声が聞こえた。でも、その声もだんだん小さくなり、やがて何も聞こえなくなった。

それから幾年か過ぎ、村人たちが洞穴の石積みを退かすと、立派な即神仏となったお坊さんの姿があった。狭い洞穴の中に、凛と座禅を組んだ姿で座っているミイラを見て、曾祖父は何故かサツマイモを思い出したのだそうだ。

あの時、お坊さんはきっと、サツマイモを食べたかったろうと。

自分がお坊さんのことを母親に言わなければ、あのままお坊さんは山を降りて、今でも生きていたかもしれないと。

「だから俺は、死ぬまでこうやってサツマイモを届けるんだ」

曾祖父は静かにそう言った。

即神仏となったお坊さんの亡骸は、どこかのお寺に、今でも祀られているそうだ。

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